DSC_0295

-- 復興メモ

写真はある釜石の夜…

■高齢者が生涯現役で仕事するのをサポートする道具とは

ものづくりクラウドソーシングサービスを手掛けるWemakeさんと釜石市のコラボレーション企画です。Web上で“高齢者が死ぬまで活動できるまち”に必要なツールに関するアイデアを募集しており、採用されたアイデアは実際に商品開発されるかもしれません。

学生インターン田久保くんが頑張ってブログを更新しています。ぜひ一読ください。

http://p.tl/YHu7

 

■ファミリーマートで釜石ラーメン

東北のファミマで釜石ラーメンが食べられます!食べたことない方もこの機会にぜひ♪

「大手コンビニエンスストアのファミリーマートは17日、東日本大震災で被災した岩手県釜石市の復興支援として、同市の企業が製造する加工食品を使った期間限定商品を発表した。「釜石ラーメン」(税込み398円)など5品で、東北と新潟の約770店舗で18日~3月17日に販売する。(中略)「釜石ラーメン」は釜石ラーメンのれん会が監修。あっさりしょうゆスープの細縮れ麺で、味の再現に苦労したという。試食した野田武則市長は「特徴がよく出ている」と太鼓判を押した(記事より)」

http://p.tl/KOCV

 

NPO等が活用可能な政府の財政支援

復興庁が被災地で活動するNPOが活用できる補助金等を一覧化しています。ご参考。

http://p.tl/6UTX

 

■「希望学」広報かまいし抜粋(2008/10

2005年度より東京大学社会科学研究所が取り組んできた「希望学」。

釜石で行われたフィールド調査は20084月~20103月にかけて、市広報誌「広報かまいし」に寄稿されています。希望とはなにか、希望はどこからきて、どこへ行くのか。バックナンバー記事の紹介です。

□「職場の希望(青木宏之氏)」2008101日号より抜粋

「釜石市には古くから製鐵所があり、釜石で働く人に職場を提供してきた。しかし、高度成長期以降は、製鉄産業を取り巻くさまざまな条件変化の中で、規模を小さくしている。1980年代には、高炉や転炉などの鉄づくりの主要な設備を休止させた。(中略)製鐵所の従業員数と釜石市の人口の減少が一定の関係を持っていることが確認できる。しかし、鉄鋼業について詳しい人ならば、逆の問いかけをするはずである。つまり、なぜ釜石製鐵所は縮小したのかではなく、なぜ存続することができたのか、と。1970年代から1980年代の日本経済は、もっとドラスティックなリストラが行われていても不思議のない状況であった。しかし、釜石製鐵所には綿材工場が残され、現在も高い品質の製品を生み出している」

「釜石の元組合長は、組合活動家としての生涯最大の目標は釜石の高炉を守ることであると考えていたという。そして、高炉休止計画に対しては、猛烈に反対した。」

「そうした願いは、労働組合だけではなく、多くの釜石経営陣も共有していた。製鐵所の入り口にランプのモニュメントと石碑があるのをご存じだろうか。これは、製鐵所の高炉を止める時に当時の所長が残したものである。所長は、高炉を止めずに済むように、東京にある本社に行って何度も陳情したが、産業全体の大きな流れの中で、高炉を止めざるを得なくなり、その無念の思いをこの記念碑に書き込んだのである。石碑には「永遠に」と題された次のような短い文章が彫られている。なお、ここに書かれているとおり、ランプのモニュメントの火は高炉から移したのであるが、今、釜石駅の前にある製鉄150周年記念碑の火もここからとっているのである」

「広報かまいし」のバックナンバーはこちらからhttp://p.tl/uZdG