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先日、海士町(あまちょう)で「巡の環」という会社を立ち上げ、Iターン者として地域づくりを実践されてきた阿部裕志さんにお会いする機会がありました。

海士町の施策には、「なぜ2,400人しかいない離島に数百名のIターン、Uターンがやってくるのか」というお決まりの質問を吹き飛ばすような「攻め」の姿勢と、地域の人や文化を大切にする価値観が共存しているように思います。

私が一番印象的だったのは「自分が成長し続けることが島の価値につながる」というメッセージです。阿部さんや海士町に関わってこられた方々の課題認識や言葉にはとても共感します。

 

<引用>

「ここまで海士が“攻める”若者を引き込むのは、海士が大きな未来へのビジョンを持っていることと、関わることのできる“余由”が残されていることにあると思っています。
もちろんこの余白は海士にとっては課題であり、かつて島が経済的にも自治的にも崩壊寸前に陥り、住民が困り果てるほどのどん底までいったときに、「チャンスがあれば何でも活用しよう」と発想を転換したことがきっかけで生まれたものです(p.50)」

 

「僕自身、海士に来て起業して、「社会をつくるということへのハードルが、ぐっと下がった気がしています。都市だと市役所の人とその町の未来について本気で考えて提案できる場なんて全然ない。海士では飲み屋代行けば役場の人がよく飲んでいるし、アイデアがよければ「やってみたらええだわい」と言ってもらえる。
そしてすべてではないにせよ、まわりまわって本当に仕事になったりもする。海士に残されている余白はすべてがチャレンジの場であり、だからこそ、冒険好きの若者が集まるのだと僕は思います(p.51-52)」

 

「まずは畑の作り方を相手から教わって、物々交換的にこっちのwebの話をする。すると、たとえばサーバーを借りるということも、畑を借りるのと同じだし、当然農作物を維持管理するには継続的な投資が必要であって、それはwebでも同じですよという話し方がはじめてできる。相手から教わる、話ができる人間だと信頼されてはじめてこちらの話に耳を傾けてもらえる。そうした姿勢でないと視線が合いません。
おまけに、常に自然と生き、多くのことをそこから学びながら生きてきた島の人のほうが、人間という意味での実質的な実績が高い。僕たちのような一部の専門性だけに特化した人間ペラペラしゃべることが、やたらとうそ臭く感じられる、地域社会というのはそういうものなんです(p.94)」

 

「かつては、「ふるさと」と「故郷」は一致していたのだと思います。つまり、自分が生まれ育った場所で仕事を見つけ、家庭を持つことができた。あるいは、誰でも生まれた場所に帰ると、そこが「ふるさと」だと感じることができた。地理的な「故郷」と心の「ふるさと」が同じ場所にあったのです。

しかし、そんな「ふるさと」は高度経済成長を境に失われていったように思います。新しいものがある場所は都会になり、転勤族が生まれて、自分が生まれた場所としての「故郷」に「ふるさと」を感じることができなくなっていった。

(中略)でも、海士と出会ってそれが変わりました。僕は自分の「ふるさと」をここで見つけたのです。人が「ふるさと」を感じる場所というのは、自分の役割がある場所だと思います。自分のことを認めてくれる人がいて、尊敬できる人がいて、守りたいものがある。そして、それらと結びついた仕事があって、いろんな人が自分の家を訪れる(p.137-138)」

 

「損得勘定を超えた場所でビジネスが成立するとき、というものに、海士に来てから数多く出会ってきました。数値化不可能な“想い”を交換して、ビジネスになる。これは方法論ではないけれど、今の僕たちの活動、そして会社の経営を支える発想です(p.224)」

 

「僕も海士に来る前は、もちろん東京に日本の「今」と「未来」があり、それこそが大切で、時代を牽引すると考えていました。しかし、海士に来て、その価値観は徐々に変わっていきました。未来を考えるためには過去も同時に見ないといけないと思うようになったのです。

(中略)現代ではあまりに急速に「今」が変化し続けるために、もはや東京だけで考えていると、場当たり的な未来が大量に生み出されては消えていく。そしてそうした消費的な未来像に翻弄されてしまう印象です。そのことに、多くの人が気づき始めていると思います。東京にはたくさんの「今」がある分、過去を振り返る場所があまりに少ないのです(p.263-264)」


「巡りの環」HP↓ 
http://www.megurinowa.jp/