日本の文化論でよく登場する「個人の主体性」の問題。

自分の生きている社会や価値基準について、そこから逃避するのではなく、鵜呑みにするのでもない、(それを変えるという選択も含めて)主体的に関わっていこうという姿勢は、絶対的存在(西洋文化でいうキリスト教のようなもの)が個人に内包されることによって生まれるという主張があります。
言い換えれば、絶対的存在とは「時代に流されない自分の軸」です。

本書では、陽明学の「天」という思想を切り口に、なぜ大塩平八郎は民衆とともに立ち上がったのか、明治国家の建立は個人の内面にいかなる影響を与えたのかが論じられています。


<引用> 

「欧米列強に対抗すべく、極端な欧化政策をとった薩長政府が顧みようとしなかった徳川時代の遺産の一つが、古来日本人の精神生活、規範意識を支えていた「天」への信仰、すなわち儒教の「天道思想」である。それは悪王暴君に対する、武力革命を大前提として、為政者に対しては超越者・絶対者として徳治・仁政を要請すると同時に、現世における権力者の“絶対化”を認めず権力者の暴走に歯止めをかける自戒自省・自己抑制の原理として機能した。明治政府は旧徳川政権との対抗上、「天皇」という新たな神話を創出し、旧政権のイデオロギーであった天道思想を歴史の中に封じ込めてしまった(p.280)」

 

「中国儒教の放伐論「易姓革命」を日本の伝統に悖るとして否定した吉田松陰は、為政者は人民のために存在するという儒教本来の天下観とは反対に、人民は天皇のために存在するという「一君万民」を唱えた。ここに「地上の権力者」が「天上の権威者」に代わって絶対的な至高の地位を占めるという論理のすり替えを行った。政治的にこのような転換劇を行ったのが、松門の出身を誇った初代首相伊藤博文をはじめとする、松陰の門人たちであった。彼らが天道思想の果敢なる実行者の大塩平八郎を全く、評価しようとしなかったも当然であった(p.283)」

 

「江戸時代の人びとは「天」という恐れるものをもっていた。江戸時代の以前の我が国のキリシタンがキリスト教の神を「デウス」=「天道」と呼んでいたことでもわかるように、キリスト教者が口にする「神」と本質的には大きな違いはない(p.293)」

 

「戦前の日本では「善悪の基準」は天皇という「虚妄の権威」が担ったが、敗戦によって日本人の精神的支えとしてあった明治以来の精神的基軸=「天皇制」が解体されたとき、そこには「空虚」だけが残り、「虚妄の権威」によってかろうじて保たれていた「善悪の基準」は再び失われてしまった。天道を棄去し、これに代わって国民の頭上高く据え置かれていた天皇は戦後に一転、人間宣言で神であることをやめ、ここに、天上にも地上にも「超越的存在」消え失せてしまった(p.324)」

 

「明治維新は「天道」信仰から「天皇」信仰への転換という「非人格的=普遍的規範としての天とか天道というイデー」から「具体的人格としての皇祖神およびその血統を継ぐ天皇」への宗旨替えであった。(丸山真男)。換言すれば国家・国民は天皇のものであるという天皇神権説の誕生であり、それはかつて「天」が決して認めなかった地上の権力者の“絶対化”にほかならず、このような天皇に率いられる「神国日本」の暴走と肥大化に歯止めをかけるものが存在しなくなった(p.327)」

 

「加藤周一は次のように語る。「日本文化の一つの特徴は、集団に超越する価値が決して支配的にならないということ。明治以後の支配層は天皇を絶対化しようとした。しかし天皇は国民という集団の象徴であり、天皇の絶対化は集団に超越する価値(例えば儒教の「天」やキリスト教の「神」)の絶対化であるばかりか、集団そのもの絶対化に他ならない。超越的価値に束縛されない文化はどこへいくのか。そこでは宗教戦争が起こりにくい。また社会の現状を否定するためには、現状から独立した価値が必要であり、そういう価値のないところでは「ユートピア」思想が現れない。「ユートピア」思想が現れないと革命が起こらない。個人的な行動様式としては、それとして自覚されない便宜主義・大勢順応主義―しばしば「現実主義」と呼ばれる態度がー典型的になる(p.329)」

 

「天皇制に見られる全体主義、抑圧的な管理社会を鋭く批判したマルクーゼは「一元的思考」という概念を呈示して「観念や目標を、支配的な体制が強いる観念、目標と調和させて、体制内に閉じ込めること、そして体制と両立できない観念や目標を排除する」ことにおいて、そこに全体主義的社会が出現し、そこでは現状に批判的な「歴史的選択」の形成が阻害されるという。政府主導で「天」から「天皇」への転換劇が行われ、このような「一元的思考」を国民に強いた明治時代こそが、近代日本の「悲劇の原点」であり、天皇制に基づく近代日本の先に「昭和の大破綻」という結末が待ち構えていたのは必然の結果であった(p.331)」