「自由というのはいつでも、他人と考えを異にする自由である…」

これはローザ・ルクセンブルクという女性が残した言葉だそうです。

 

私は丸山眞男ほど「個の自立」を訴えかけ続けた思想家を他に知りません。

彼の著作を読むと、大きな川の流れに身を委ねるのではなく、己の意思を持つことの大切さに気付かされます。本作は聞き手のインタビューに答えていく形で話が展開され、読みやすいです。
高校の教科書で読んで「ふ~ん」としかならなかった方も、ぜひ社会人経験を経てから読んでみてください。個人的には若手ビジネスパーソンにオススメの一冊。

 

<引用>

「政治はパートタイム参加である。人間の一日二十四時間のうち政治行動をする時間ってのは1分か2分であってもいい。このように恒常的に人間行動の中に政治を位置づけないとデモクラシーも基礎付けられない。何故かというとデモクラシーとは、政治を職業としない人間が、政治を職業としている人間をコントロールする。大部分の人間は政治を職業としていない。そうでなければ政治は政界の仕事になってしまう。日本の場合「政治」とは「政界」のことであって、これがいけない。デモクラシーの参加はパート参加で始めて成り立つ、いわば在家仏教であると。つまり坊主のために宗教があるわけではないと。政治家のために政治があるんじゃない(p.170)」

 

「政治行動というのは、政治を手段としてでしか特徴付けられない。政治という特殊な領域はない。政治っていうのは、宗教とか学術とか教育とか芸術とか、いろんな人間活動を横断している。政治という領域がこれらと並んであるわけではない。でないと政治というものを政治家に委ねてしまうことになる(p.171)」

 

「本居宣長は「政事」の言葉の由来を「奉仕事」ツカマツリゴトだといった。これは半分は正しい。ただもっと遡ってみると「献上事」であり、何かものを献上する。つまり租税を納めることをマツリゴトといっている。納める側が主体となっている。(中略)言いかえれば翼賛型。翼賛型はいわば「同方向的上昇性」であり、みんなが同じ方向を向いている。治者と被治者が対立するように向き合っていない。みんな上を向いている。天皇も、国民の方へ下を向いているんじゃなくて、皇祖神のほうを向いている(p.198)」

 

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