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あけましておめでとうございます。年末年始は広島・四国を訪ね、実家でゆったりお正月を過ごしました。自分はこれから何を燃やして生きていくのか、そんな問いに向き合えたと思います。今年もどうぞよろしくお願いいたします。写真は新年恒例の尾崎神社より

 

2015年の抱負

2015年の抱負は「“復興”に代わる、あたらしいキーワードを被災地から提供する」ことです。ちょうど一年前のブログに、“ビジョンを持たないというビジョン”というタイトルで、こんなことを書いていました。

2014年の抱負は「目の前の課題解決に全力を尽くす」こと。これに尽きます。

 

ビジョンを描いて戦略的に行動していくことは大切です。達成すべきゴール(目標)とは理想と現実のGAPであり、眼前のタスクに追われるばかりではよい仕事はできません。

 

一方で、この1年間を振り返ってみると、目の前の課題にどれだけ本気で取り組むことができるかどうかに尽きるかもしれない、と思うようにもなりました。

 

よく聞かれるので考えるのですが、私は数年先の自分のキャリアを全く描くことができません。

 

なぜなら、現在の自分と比較して一年前の自分には思いつかなかったこと&出来なかったことがあまりに多いと感じるからです。いまビジョンを描いても一年後には陳腐化しているような気がしてならない。

 

「ビジョンを持たないことがビジョン」というおかしな状況になっていますが今年も全力で走ります。

被災地を取り巻く環境の変化に必死で食らいつき、舞い込んでくるボールを一心不乱に打ち返す。繋がりから生まれるあたらしい事業の種を手あたり次第まきつつ、できるところから小さくても形にする。振り返ればそんな年でした。

 

年末に東北復興新聞へ寄稿したコラムにも書きましたが、被災地は、今後ますます被災地としての姿を失い、世間の関心も薄れていくでしょう。事実、年末年始の愛知県で「被災地」や「復興」という言葉を見聞きする機会はほとんどありませんでした。

 

ヒト・モノ・カネといった外部リソースを今後も東北へ還流させるためには、いよいよ、単なる「復興」ではない新しいキーワードを被災地側から提供していかなければなりません。それは、これまでとは異なるフェーズの価値を発掘し、磨き、発信していく必要があるということです。

 

かつて、国づくりを“可能性の芸術”と表現した人がいますが、私は釜石の復興に全く同じことを思います。心を揺さぶる歴史を有するまちで、最高の仲間と社会課題に挑戦する。この緊張感は時代と向き合っている証であり、私の誇りです。だから己の意思で走れる

 

2015年は、「いまも昔も、活躍の場を求めて若い世代が集うまちでありたい」という希望を“オープンシティ”という合言葉に込め、釜石を訪れる人・企業も、釜石という地域も互いに育ち合う、そんな開かれたまちを、3年目の集大成として表現していきたいと思います。