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中越地震は日本において、過疎地での「復興」をはじめて定義しようとした試みであり、その流儀は釜石の復興支援員「釜援隊」にも生きています。

“中越地震が顕在化させた本質的な課題は「過疎化・高齢化の課題に主体的に向き合ってこなかった地域社会の姿勢にある」と考えている”(本文より引用)

地域と真正面から向き合い、10年間かけて紡ぎだされた言葉には深みを感じます。

<引用>

「災害は社会のひずみを顕在化させる」と言われる。このひずみとは「災害前から潜在的にあった地域社会の課題」である。中越地震は、農山村の過疎化と高齢化という課題を顕在化させた。

ただし、ここで勘違いしてはいけない。過疎化と高齢化は、あくまで減少である。この現象自体を課題だと言っているわけではない。

重要なのは、この現象を引き起こした本質的な課題はどこにあるのかということだ。私は、中越地震が顕在化させた本質的な課題は「過疎化・高齢化の課題に主体的に向き合ってこなかった地域社会の姿勢にある」と考えている。

すなわち、震災前から過疎化・高齢化の課題があったものの、その課題を自分ごととして捉えず、誰か、もしくは何かのせいに(依存)し、自ら主体的に課題解決に向けて動き出していなかった地域社会(住民、行政機関、周辺の住民)の姿勢である。

そして、この地域社会の姿勢を変えていくことこそが、中越地震の復興の本質的な課題であったと考えている(p.8-9

 

私は、「過疎化・高齢化の課題に向き合ってこなかった地域社会の姿勢」をつくりだしてきたのは、この集落の伝統的な体質と誇りの空洞化による諦め感にあると考えている。

複数の集落の地域づくりの比較から、このような体質を持つ集落への地域づくりのサポートには、段階が必要であることがわかってきた。すなわち、①住民の主体的意識を醸成するサポート(寄り添い型サポート)と、②住民の主体性が生まれた後の、集落の将来ビジョンづくりと実践に対するサポート(事業導入型サポート)である。

(中略)地域力がマイナスの集落にいきなり事業導入型サポート(掛け算のサポート)をしても、マイナスを大きくするだけである。まずは、寄り添い型サポート(足し算のサポート)を地道に行い、地域力がプラスになった段階で事業導入型サポートを行うと効果が生まれる。これが「地域づくりの足し算と掛け算」という考え方である。

同時に、これまでのコンサルタント主導の地域づくり、すなわち、寄り添い型サポートを丁寧に行わず農山村の活性化プランを作成し、事業導入型サポートのみを行ってきた地域づくりに警鐘を鳴らす考え方でもある(p.222-223

 

「津波後は旅の者によって満たされる」という言葉がある。三陸地方に伝わる言い伝えの一つだ。宮城県気仙沼市出身の民俗学者・川島秀一氏が著書『津波のまちに生きて』で、取り上げている。

三陸沿岸の村々が過去の津波災害から復興する際、南方からの来訪者によって担い手が置き換えられていく傾向があったという。川島氏は、岩手県両石(釜石市)では宮城県の十三浜(石巻市)からイカ釣りに来ていたものが婿に入った事例、山田町の田ノ浜には1896年の大津波以後、気仙郡からの定住者が見られた事例を示している。

彼らは移動性に富む漁師だった。津波後に“旅の者”として訪れ、以前からの住民と一緒になって暮らし、文化を形成してきたのである(p.235) 

 

これまでの復興プロセスは。「開くこと」を繰り返してきたにすぎない。まず、一番小さな単位の個人を元気にしいた。そこで、開くことの大切さに気づき、その気づきを集落に応用し、さらに地域に応用してきたのだ。

個人が開き、開いた個人が増えることで、集落が開く。開いた集落が増えることで、地域が開く。そして、開いた個人、集落、地域同士が、互いのエネルギーを交換するかのように元気になっていった。

(中略)うまくいかないのは、小さな単位のアプローチを疎かにしていたときか、知らず知らずのうちに閉じる方向に進んでいたときと、相場が決まっていた。繰り返しになるが、「開くこと」が大切なのだ。閉じていれば。エネルギー交換は生まれない(p.254-255


<参考(過去に書いた関連メモ)>
■中越の経験と復興支援員(中越防災安全推進機構を訪問した際の意見交換メモ) 2013年02月16日
http://kazz.blog.jp/archives/1577023.html

■ガバナンス4月号(稲垣さんの寄稿抜粋) 2013年04月02日
http://kazz.blog.jp/archives/1578224.html

■中越地震の復興ビジョン(新潟県の復興ビジョン紹介) 2013年10月04日
http://kazz.blog.jp/archives/1578364.html