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“Hope is Wish for Something to Come True by Action”

著者の玄田先生は「希望」という言葉をこんな風に訳しています。「行動によって何かを実現しようとする気持ち」です。前職の時にブータンのGNHなどをテーマにした勉強会に参加していました。その際に釜石でフィールド調査が行われた希望学も取り上げられていて、なんだか不思議な縁を感じます。


<引用> 

「希望が前提として、当たり前のように与えられていた時代が、かつてありました。そんな時代には、目の前にある希望をかなえるべく、一生懸命働いたり、せっせとお金をためたり、新しいことに勇気を持ってチャレンジしていくことができました。しかし、希望という前提がいったんくずれてしまえば、何のために、何をすればよいのかが、わからなくなってしまいます。現代は、誰にも希望が与えられているような時代ではなくなりました。そんな時代に生きる私たちは、何を考え、どんな行動に踏み出していけばよいのでしょうか(p.1-2)」


「幸福な状態にある人が思うことは、ただ一つ。その状態がいつまでも続いてほしい。そう願うことでしょう。幸福は、継続を求めるものなのです。(中略)「継続」を求める幸福に対し、希望は「変化」と密接な関係があります。夢とちがって希望は、苦しい現実のなかで意識的にあえて持とうとするものであるといいました。過酷な現在の状況から良い方向に改善したい。苦しみから少しでもラクになりたい。もしくは誰かをラクにしてあげたい。そんな思いが、希望という言葉には宿っているのです。希望は、現状の維持を望むというよりは、現状を未来に向かって変化させていきたいと考えるときに、表れるものなのです(p.32-33)」


「希望について、多くの仲間と研究をしてきましたが、最初は希望とは何なのか、よくわかりませんでした。それがいろいろ考えるうち、どうやら希望というのは、四つの柱から成り立っていることがわかってきました。その四つをこれから紹介します。
一つはウイッシュ(wish)、日本語にすれば「気持ち」とか「思い」「願い」と呼ばれるものです。オリンピックやワールドカップなどのスポーツで、決戦を前にした選手がよくこんなことを言います。「こうなったら、もう技術がどうのこうのということじゃない。最後は気持ちの問題。気持ちで勝つか、負けるかです」。この「気持ち」というのが、希望にはまず必要です。
二つ目の柱は、あなたによって大切な「何か」、英語でサムシング(something)です。将来、こうありたい、ああなってほしいという、何か具体的なことがある。その何かが、世界平和という人もいれば、毎日三回ご飯が食べられることという人もいる。でも、希望に大きいも小さいもない。重要なのは、何とかしたいという自分にとっての大切な「何か」を見定めることです。何でもいいから、なんとかなってほしいということは、だいたい何ともなりません。
三つ目の柱は、カム・トゥルー(come ture)、「実現」です。ドリームズ・カム・トゥルーは「夢が実現する」という意味です。どうすれば、実現する方向に近づいていくのか。そのための道すじとか、踏むべき段取りを考えることです。たとえ実現がむずかしかったとしても、近づくことはできる。どうすれば望みがかなえられる可能性が高まるか。学習したり、情報を集めたりすることも大切です。
最後の四つ目の柱はアクション(action)、つまり「行動」です。どんなに目標を定めて、すばらしい作戦を立てたとしても、そのための行動をしなければ、希望をかなえることはできません。行動を起こすことは、ときに勇気が必要だったり、不安や苦しいこともあります。でも行動を起こさない限り、状況を変えることはできないんです(p.38-39)」

「希望がないと当初思っていた人が、あせらず時間をかけて自分の頭で考えていくうち、希望をみつけるその過程で、期せずして共通に用いる言葉がありました。それは「物語」もしくは「ストーリー」という言葉でした(p.101)」


「学校を卒業して、社会に出ると、毎日が本当にわからないことだらけです。どんなふうに仕事をすればよいのか。将来の人生設計をどうすればよいのか。悩みは尽きません。道筋を考えてよく計画し、行動しようとしても、作戦どおりにいかないことがしょっちゅうです。
そもそも作戦や戦略を立てて何かをすることが成功するのは、社会の仕組みやルールがよく整備されていて、その中身を完璧に理解できているときだけです。でも社会はそれほど完璧ではない。道筋を立てようとしても、立てようがないのです。
だとすれば、よくわからない社会を毎日生きる上で、もっとも大切なことはなにか。それは「わからない」ということで、簡単にあきらめないことです。逃げださないことです。「わからない」から不安だとか、つまらないと思わない。むしろ「わからない」からおもしろいと思えるかどうかです(p.161-162)」


「絶望は、将来突然にやってくるものではありません。むしろ絶望に向かう導火線は、すでに点火されていて、刻々と爆発に向かっているのかもしれません。それゆえ、絶望の火種を発見し、危険の芽を摘むことが、政治に期待される役割なのです。
(中略)歴史から学び、悪夢をふたたび繰り返さないようにしてきた人々の努力の結果、絶望が見事回避されたとして、その後には何が待っているのでしょうか。そこに待っているのは、何の変哲もない、ただ平凡な日常です。平凡な毎日の連続を、多くの人は「つまらない」と感じるでしょう。しかし、日々普通の生活ができていることの背後には、絶望を避けようとした多くの人々の英知と努力があります。そのような人々は、一般的にはほめたたえられることもなく、歴史の中に静かに消えていきます。
だからこそ、私たちに真の意味での教養として求められているのは、そんな名もない人々に対する想像力です。多くの人から感謝されることはないけれど、絶望を社会にもたらすことのないよう、みずからの誇りと使命をかけて努力する人々がいるのです。そんな人たちの存在を認め、同時に一人ひとりが自分もそうなりたいと思える社会こそ、本当に希望ある社会なのです(p.173-174)」